2013年10月5日(土)
【 成蹊大学アジア太平洋研究センター主催連続映画鑑賞会 】
http://www.seikei.ac.jp/university/caps/
成蹊大学内、唯一の研究センターとして、アジア太平洋地域に関連する各分野の学際的・国際的共同研究の推進と
その研究成果の社会への還元、国際学術交流の促進を目的として設立・運営されている<研究センター>主催の企画!
当日は、センター関係者のみならず、学生さんや地域の方々はじめ、遠方からも多くの方にご来場いただきました!
上映後、約50分にわたる監督講演では、真剣にメモをとりながら、頷きながら、お話を聞く姿が目立ちました!
【伊東監督のお話(抜粋)】
■はじめに―当事者であるという認識
よく、この映画を観られて「自分の知らないところに被ばく者の方がいるんだなぁ」とか「被害にあわれた方、大変でしたね」という感想が寄せられるのですが、みなさんは第三者ではなく、当事者かもしれないのです。
例えば、海洋汚染については、映画にも出てくる日本政府が出した調査船<俊鶻丸>のデータからも、その汚染の範囲と強さがわかりますし、現在も太平洋の中にビキニ事件当時の放射性物質が残っているという研究結果も出ています。
また、当時、たくさんの放射性物質を含んだ雨が降っていたということが全国各地の新聞でも連日報道されています。
子どもの頃聞いた「雨にぬれると頭がはげる」というのは諺だと思っていましたがそれは、ここからきているのです。
海も空も、つながっています。
そして、映画中の証言やデータから読み取れる船や乗組員、魚の状況からみる、私たちにかかわる影響についても考える必要があります。
■事件の矮小化・記憶の風化
上映会では、年配の方からも「え!そんなことあったんですか?」という声が多く寄せられます。なぜ知らなかったか、、、よく政府が隠した、メディアが隠した、と言われますが、先にも述べたように、報道は毎日のようにされていいました。にも関わらず、「事件」はいつの間にか「第五福竜丸事件」と呼ばれ、いつしか人々の記憶は「第五福竜丸一隻が被ばくし、久保山愛吉さん一人が亡くなった、3.1の事件」となったのです。
当時の核実験は1946年から100回以上おこなわれており、1954年3月1日のブラボーショットは、その中の一発に過ぎないのです。被ばくによる被害は放射線がで続ける間、ずっと続くもの。
「○周年」や「○○デー」などのメモリアルをつくることが矮小化につながる危険性があります。
■過去から現在とこれからを見つめる
映画の前身となる番組は、8年にわたり放送を続けてきましたが、3.11以前は関心度が低く、3.11後に、一気に関心を持たれました。
その後、映画化して多くの上映がされてきましたが、つくづく、被ばくの問題は難しく、解決するのも難しい、ということを痛感しています。
補償の問題でいうと、被ばく者側が医学的な裏付けをしなければならない状況があり、検証が必要です。一方で、「今の科学では裏づけは難しい」とも言われています。
「これまでを検証し、これからに生かしてほしい」という思いから「X年後」のタイトルをつけました。
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講演後の質疑応答では次々と手があがり、補償や海員組合の関わり、アメリカ本土への影響や認識について、、、
など、映画のなかでの疑問点や質問、ご意見をお寄せいただきました!
恒例のサイン会では参加者の方々との話が尽きず、まるで座談会のようになっていました!
~ご来場いただいたみなさま、主催いただいたみなさま、ありがとうございました~
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