放射能を浴びた[X年後]

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太平洋核実験

米国が1946年から1962年まで、中部太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁やクリスマス島、ジョンストン島などで行った一連の核実験(計100回以上)。1954年3月1日に爆発させた「ブラボー」は広島に落とされた原爆の1千倍以上の破壊力があるとされ、近海で操業中の第五福龍丸(乗組員23人)が被ばく。同年9月、無線長の久保山愛吉さんが死亡したことで、日本全国に知れ渡った。

放射能雨

放射性物質を含む雨のこと。太平洋核実験により大気中に放出された放射性物質が日本列島にまで達し、雨と共に降下したことで、全国各地の野菜や飲料水、牛乳など様々なものが汚染した。当時、9割の家庭が雨水を飲料水として使用していた沖縄では、市内に降った雨からマグロの廃棄基準のおよそ1700倍にあたる17万カウントの検出が記録された(1958年7月、琉球気象台の気象要覧より)。その年、太平洋では35回の核実験が実施されていた。「雨にあたると髪が抜ける」という言葉が大流行し、日本中を恐怖に陥れた。

土壌調査

今回南海放送では、放射線防護学の専門家である野口邦和氏に依頼し、半世紀前に行われた核実験によって日本列島にフォールアウト(放射性物質の地上への降下)があったかどうか、残留した人工放射性物質セシウム137の調査を実施。沖縄5ヶ所、京都2ヶ所、山形2ヶ所の計9ヶ所で、1960年前後に建てられた家屋の軒下の土を採取し測定した。セシウム137は核実験が開始された1946年以前には地球に存在しなかった人工放射性物質であるため、1950年代の大気圏内核実験の影響を受けていたかどうかの実証材料になる。

厚生省への個人情報開示請求

偶然見つかった船員手帳や航海日誌から、父が1954年に乗っていた船名を知った川口美砂さんは、父の足跡を知りたいという思いから、2015年8月、厚労省に個人情報の開示を求める請求をした。果たして、一ヶ月後に開示された文書にあった記録とは…?

登場人物

川口 美砂(かわぐち・みさ)
「父のことが、少しずつ見えてきた」
1956年高知県室戸市出身。東京で広告代理店を経営。12歳の時に父・一明さん(36歳で死去)を亡くす。2013年8月、室戸市でおこなわれた自主上映会で『放射能を浴びたX年後』を観たのをきっかけに父の死に疑問を抱き、2015年1月から毎月帰省、遺族や元乗組員たちに聞き取り調査をおこなう。また、父が乗船していた船についての情報を求め、2015年8月、厚労省に個人情報開示請求をおこなった。

山田 勝利(やまだ・かつとし)
「船員手帳のあの年のページを破った」
1938年高知県室戸市出身。元マグロ船漁労長。高知県室戸市吉良川地区で食料品店を営む。船を降りてから市議会議長を務めるなど、地域での信頼が厚い。漁業の歴史を伝えていきたいと、店の二階を改造し、手作りの資料館にしている。数年前、室戸の漁師たちが核実験によって被害を受けていることを知り、「海の仲間たちの誇りを取り戻したい」という思いから、さまざまな活動を続けている。川口美砂さんの良き相談相手でもある。

和気 一作(わけ・いっさく)
「この航海が終わってから…と。父はなかなか病院に行かなかった」
1956年高知県室戸市出身。漫画家(本名:大黒正仁)。代表作はテレビドラマにもなった「女帝」など。デビュー2作目「おんちゃん」(昭和56年発行/日本文芸社)は、マグロ漁師だった父・敬鋭さん(46歳で死去)への追悼の思いをこめた作品である。幼馴染である川口美砂さんとの出会いを通じて読んだ書籍「放射線を浴びたX年後」をきっかけに、父の死に疑問を抱く。

野口 邦和(のぐち・くにかず)
「あきらかに、1950年代の大気圏実験の影響を受けている」
1952年千葉県出身。東京教育大学大学院理学研究科修士課程修了。現在、日本大学准教授・福島大学客員教授。理学博士。専門は放射化学・放射線防御学・環境放射線学。日本科学者会議原子力問題研究委員会委員長。原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会共同代表。福島第一原発事故後、福島県本宮市放射能健康リスク管理アドバイザーなどを務める。

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